Translate

2016年10月7日金曜日

考察:フラダリの新世界と「ワクワク新生活」をさらに考える

ver:1.2
(参考を追加しました)
 
以前した「フラダリの新世界と「ワクワク新生活」を重ねる」という考察で、ずれた部分について、少し言及しました。

(恐らく、まだ見ていない方は内容をうまく理解できないと思うので、部分的にでも確認していただけると助かります。)

 今回は、その「ずれた部分」について、もう少し深く考察をしていきます。

ズレた事柄について>
  まず、以前の考察でズレた部分というのは、

①フラダリは捨てる時に吟味をしていなかったこと
②自分自身を変えようとはしていなかったこと

 の2つです。

 以前の考察では、①は「捨てるもの」に対しての想い入れの違い、②は描いていたものの違いではないか、と考察しました。


<さらに深く考察する>
 以前の考察だけでは不十分と感じていたこともあり、記事にした後も、いろいろと考え続けていました。

 その中で、ふと思い出したことがいくつかありました。

 まず①に関しては、自分にも吟味せずに物を捨てるという経験があったことです。

 ほとんどのものは吟味していたのですが、「以前から捨てたいと考えていたもの」は吟味することはおろか、ろくに見ずに(視界にすら入れないように)捨てていました。

 (この経験と、フラダリの状況が必ずしも一致するわけではないのですが、)もしもフラダリも似たような感情=ずっと捨てたいと思っていた)を、「愚か」と感じた人々に対して抱いていたのであれば、フラダリが壊れゆく町の様子を見ながら、何度も何度も「美しい」と言ったことに納得ができます。

 なぜならば、「捨てたいと思っているものをずっと捨てられないでいる」という状況は「変わりたい」という感情を喚起するとともに、「変われない」というジレンマを生み育てる……。

 その状況を経て「ずっと捨てたいと思っていたものを捨てる」という行為には、「変化したい」という願いを叶え、ジレンマを取り去る、という意味がついてくるからです。

 続いて、②について。このことには、「自己一致」、「自己受容」の考え方がかかわっているのではないかと思いました。

 「自己」は、「理想の自己」=そうであるべき自分)と「現実の自己」=あるがままの自分)に分けられます。

 この2つが一致している状態を「自己一致」と呼びます。反対に、一致していない場合は「自己不一致」と呼びます。

 「自己不一致」の例を挙げると、「自分では得意と認識しているのに周りよりうまくできない」、「つらい話を笑いながらする」というような状態でしょうか。

 「自己一致」していたからなのか、それとも、「自己不一致」の状態で「自己一致」していると判断されていたからなのか……。

 どちらかはわかりませんが、②の違いは、そのあたりが関わっているように感じます。


――――――――――
 今回の考察は、これで以上になります。
 見ていただいて、ありがとうございました!


(参考)
ポケットモンスターXY&Z:38話

0 件のコメント:

コメントを投稿