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2016年10月31日月曜日

仮説と考察:フラダリとサトシの会話のズレについて

ver:1.4
(写真の引用を変更しました

 アニポケの中で行われていた、サトシとフラダリの会話を、皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか?

 自分は、その会話を聞いていて、「『言葉のキャッチボール』というよりは、『言葉の雪合戦』みたいだなぁ、と感じていました。あくまで、感じていただけなのですが……)

 それで、しばらく「どうしてそう感じていたのだろう?」と考えていました。

 「サトシかフラダリのどちらかの文章構成力に問題があったのだろうか?」、「どちらかの理論が破綻していたのだろうか?」
 
 その2つの可能性もありますが、自分が感じている物とは違っていました。
 
そして暫くの間そのことについて考え続け、「フラダリとサトシの”人への視点”の違いから来るのではないか」という結論に至りました。

※この記事を挙げた際は話をマクロ視点・ミクロ視点まで広げたのですが、正確性と話題のズレを考え、その部分は削除しました。

(いい加減にしろ!)
引用: (c)NintendoCreaturesGAME FREAKTV TokyoShoProJR Kikaku (c)Pokémon
Copyright(c)TV TOKYO Corporation All rights reserved.
(話にならんな)
引用:(c)NintendoCreaturesGAME FREAKTV TokyoShoProJR Kikaku (c)Pokémon
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<”人への視点”の違いを見つける>

「人への視点が違う」と感じはしましたが、その感覚が正しいかどうかは、実際に調べてみないとわかりません。

 いろいろな方法を考えているうち、あることを思い出しました。

 以前、「整理:フラダリの印象」で、「フラダリは「人類」といったように「複数の人」を意味する言葉をよく使うため、フラダリはマクロ視点を持っていると感じた」と書いたんです。

 もしかしたら、2人のことば選びが違うかもしれない。

 そう感じ、言葉について分析してみようと思いました。

 対象となる言葉は、人に関わる言葉です。対象となるシーンは、40話~42話の中で、「2人が話している」、「どちらかが話しかけている」としました。

 まずは、2人の言葉をざっと並べて見ます。


・サトシが使った言葉
①好きな人、フラダリ、俺たち、お前、お前、俺たち
②フラダリ、お前、人、みんな、大切な人に逢える人、夢をかなえる人、トレーナーとして旅立つ人、傷が治る人、1人1人、俺、お前
③フラダリ、フラダリ

・フラダリが使った言葉
①私たちフレア団、サトシ君、サトシ君、君たち、君たち、私、私、君たち、人類、私、君たち、お前(=サトシ)、お前(=サトシ)、私、苦しむ人々、人々、彼ら、自分たち(=苦しむ人々)、彼ら、愚かな人間、私、私、お前たち
②人、お前たち、私
③私、私

※①は40話、②は41話、③は42話です。「私の」といったような所有を意味する言葉は除外しています。同じ言葉が連続して出ているところは、若干ズレがあるかもしれません。


 単純に喋っていた言葉を並べただけですが、これだけでもかなり気づくポイントがあります。

  まず、自分はこの会話を「雪合戦」と評しましたが、それも若干違うということ。雪合戦は投げあいですが、2人の会話は「フラダリが先攻、サトシが後攻」という感じです。フラダリは42話、サトシは43話で人に関する言葉をたくさん使っています。)

 それから、フラダリがサトシの呼び方を変えたところからは(サトシ君→お前、フラダリのサトシに対する認識が変わったのは、「サトシがフラダリと相容れない」からではなく、「サトシに平和(フラダリの考える)を否定された」からだということもわかるでしょうか。

 しかし、特に注目するべき点は、同じ人についての言葉であっても、殆ど、(フラダリ、サトシ以外の言葉ではサトシは「単数形」、フラダリは「複数形」だということです。

 「単数形」であれば、1人から含まれますが、「複数形」は2人以上を前提としています。

 ここから、同じ「人々」であっても、サトシは1人単位で見ることができ、反対にフラダリは1つのまとまりとして認識していると言えます。

 

<「単体」を含むか含まないかの違い>

人を考えるとき、「単体」を含んでいるかどうかというのは、結構大きいズレを生むのではないでしょうか。

 たとえば、こんな場合。


「誕生日と性格には、統計的に見てあまり関係がありません」
「しかし、母は〇月生まれで、△△という性格をしています」


 前者は人を1つの塊としてとらえ、どういう傾向があるかを考えたもの。後者は単体に注目して出た発言です。

 この2つはどちらも事実としては確かですが、互いの結論を否定するものではありません。そのため、ズレが生じています。

 「統計的に見てそれらに関係がない」ということは「〇月生まれの人=△△という性格ではない」という事実を示すものではないのです。

 (正しい・正しくないはともかく、)この考え方から2人の立場をぞれぞれ見てみると、


サトシ:1人1人に目を向けないでどうしてまとめて「愚かな人間」なんて言うんだ!
フラダリ:例外はいるが全体的に見れば「人=愚か」なんだ!なぜわからない!


 という状態なんです。

<まとめ>

もちろん、この2人の会話がうまくいっていない理由は他にもあると思います。というか、話のズレの影響は、その別の理由の方が強いのではないかとも思います。)

 特に、分析の途中で気がついた「サトシに平和を否定された故に、フラダリは怒った」ことからは、人の見方だけでなく、世界観の違いも影響しているのではないかと感じました。

 今回の記事はここで終わりですが、2人の世界観について掘り下げられたら、別の形で記事にしようと考えています。

 ここまで読んでいただいて、ありがとうございました!

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(参考)
ポケットモンスターXY&Z:40話~42話

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