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2016年8月22日月曜日

仮説:アニメとゲームのフラダリは別か

ver:1.4
(参考を追加しました)
 
前の仮説ではアランのこれからについての仮説を記事にしましたが、今記事では、フラダリとZ2についての仮説になります。

 今回の仮説は、「ゲームでのフラダリと、アニメでのフラダリが違うのではないか」というものです。

〔結果〕
実際に違う部分は多々あったのですが、想定よりも似ていました。

<そのように考えた理由>

AZがまだ登場していない事、古代兵器を使っていない事……などなど、もともとアニメとゲームでのストーリーの流れは、色々と違っていました。そのことは、「アニメの尺の問題が絡んでいるのではないか?」と考えていた部分がありました。

(もちろん、アニメとゲームのフラダリが違うのではないか、ということも若干考えていましたが、「アニメとゲームで大幅な設定変更はないだろう」と思いっていました。)

 しかし、ある2つのセリフを見比べて、「おや?」となりました。

 まず、1つ目のセリフは、ゲームでのフラダリのセリフです。兵器起動を阻止しようとした主人公に対して、

「ポケモンは素晴らしい存在だが、道具になりかねないので消えてもらう」

というような内容の言葉を発しています。

 そしてもう1つは、決勝戦前にサトシに放った、フラダリの言葉です。

「あの力は素晴らしい。ポケモンと人との新たな可能性だ。きたるべき世界の道しるべになるだろうね。」
 
 そう、この2つは両方は成り立たないんです。(ポケモンを消し去ってしまえば、「ポケモンと人との関係」そのものがなくなってしまいますから。)
 
 

<ではゲームでのフラダリはどうなったのだろうか>

 アニポケスタッフが「ゲームのフラダリ」をアニメに登場させない、というのは考えずらかったです。すみません、このことについては感覚的なもので、上手く説明ができません。)

 それと、ゲームでのフラダリとアニメでのフラダリは同じではないと感じましたが、完全に違う、とも思いませんでした。

(フラダリそのものを変えてしまうのは、フラダリがフラダリである理由がなくなってしまう気がします。)

 まだゲームでのフラダリの印象の整理をしていないので、まだはっきりとしたことは言えないのですが……ゲームでのフラダリは「人」に重心があって、アニメでのフラダリは「人とポケモンの関係」に重心がある、ということではないのかなぁ、と今は感じています。

 では、ゲームでのフラダリの理想はどこにいったかというと……それは、(38話のセリフから、)Z2がもっているのではないのか、と思います。

 そのことを考えると……ゲームでのフラダリが人を滅ぼそうとした(そしてZ2はそれをしようとしている?)のに対して、アニメでのフラダリは人とポケモンの絆の形そのものを一度壊して、再構築するのではないのかなぁ、と今は考えています。



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以上で仮説は終了です。
見ていただき、ありがとうございました!

(参考)
ゲーム:ポケットモンスター X、Y
最強メガシンカ:ACT2~4
ポケットモンスターXY&Z:1話、9話、10話、14話、36話

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