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2016年12月7日水曜日

仮説:フラダリが人を愚かと思った時期

ver:1.2
(可能性①を修正しました)

 サンムーンに突入しましたが、まだまだフラダリ関係の記事は続きます。前も同じことを言っていたかもしれませんが……)

 今回は、フラダリがいつ「人=愚か」と思ったのか、そこに注目していこうと思います。

 フラダリの演説を聞いていると……なんだか少し、疑問に感じる部分があるんですよね……。

 まず、その点について触れましょう。

引用:(c)NintendoCreaturesGAME FREAKTV TokyoShoProJR Kikaku (c)Pokémon
Copyright(c)TV TOKYO Corporation All rights reserved.



<演説の内容と疑問点>

フラダリが演説したのは、サトシのカロスリーグ挑戦が終了してすぐ……39話でのことでした。

 内容を簡単にまとめると……

  • 私たちはフレア団、世界を美しく作りかえる者たち。
  • カロスの秩序を監視するジガルデが人とポケモンの営みに怒りを覚えている。
  • 人々が争わず、奪い合わず、美しく生きていくには命の数を減らすほかない。
  • 私たち(=フレア団)とジガルデは手を組み、命を減らすことにした。
  • 世界をリセットし、美しい世界を作り上げる。

となります。

 この演説のどこに疑問を感じるかと言うと、真ん中の、「人々が争わず、奪い合わず、美しく生きていくには命の数を減らすほかない。」に対してです。

 この部分、フラダリの回想と照らし合わせると、少し「?」となるんです。

 「手を差し伸べた人々に何かを奪われた」「奪い合う場面を目撃した」--フラダリはそういう場面を目撃したと言っていないのです。


<疑問から考えられる可能性>

  少なくとも、この状況で言える事実は2つです。

  • フラダリは「奪い合う人々」や「争う人々」を愚かと感じる。
  • 回想シーンは、フラダリがフレア団を結成した理由に直結している。

 この2つが矛盾しない状態はどのようなものか……それを考えているうち、2つの可能性が浮かびました。


・可能性①:フラダリが手を差し伸べた時期と「人=愚か」と思った時期は同じだが、「人は奪い合うから愚かだ」という理由の奥に別の理由がある(ここは「フラダリは人々(=手を差し伸べた相手)に何かを奪われていた可能性でしたが、名前を変更しました)

 この場合、画像で示した大波は、”愚かな人々が伸ばした手”の比喩であると考えられるでしょうか。

引用:(c)NintendoCreaturesGAME FREAKTV TokyoShoProJR Kikaku (c)Pokémon
Copyright(c)TV TOKYO Corporation All rights reserved.

引用:(c)NintendoCreaturesGAME FREAKTV TokyoShoProJR Kikaku (c)Pokémon
Copyright(c)TV TOKYO Corporation All rights reserved.

この記事を立ち上げた時、個人的には「無くはないけれど、)この可能性は難しいな……」と感じていました。

 フラダリの回想シーン等で「奪い合う」描写が無いことも理由の1つでしたが、一番は、回想で”フラダリが手を差し伸べた人々”はフラダリ達に対して要求を強めていた(「奪い合う愚かさ」というよりも、「奪う愚かさ」に近い)ことです。

 しかし最近になって、時期が一緒であってもフラダリが手を差し伸べた時期と「人=愚か」と思った時期が同じ)事実に反しない可能性に気が付きました。

 フラダリが挙げた理由の裏に別の理由があれば、事実と矛盾せずに(この可能性は)成立するんです。

 裏に別の理由ーーしかもそれは本人にはあまり意識されないーーが成立するのは、例えばこんな状況。


 Aさんはアイドルが大好きです。それは自他ともに認める事実であり、他の職種の人にはあまり興味が無く、本人の中ではアイドルがダントツで一番の存在です。
 あるとき、Aさんが一番応援していたアイドルの方(Bさんとしましょう)が、女優へと転職します。
 さて、AさんはアイドルではなくなったBさんをファンとして好きではなくなるでしょうか。実際の場合で考えてみてください)


 勿論、Aさんが好きでなくなることもありますが、そうでない可能性も十分にあるでしょう。

 後者のように、条件(例でいえば、「Bさんを好きなのはアイドルだからだ」)が条件になっていないことがあるんです。そして、そのような場合、提示された条件(言い換えれば一番目立つ条件)の裏に別の理由がある(例で言うと「Bさんがファンとして好きだから」)可能性があるのです。

 フラダリにもこのようなこと――つまり、「人は奪い合うから愚かなのだ」というのは一番目立つ理由であって、裏には矛盾しない別の理由がある――が起こっていれば、2つの時期が同じである可能性は十分に残ります。


 
・可能性②:元々フラダリは「人=愚か」と思っていた
 最初、自分は①の可能性よりは②の可能性の方が高いと感じていましたが、最近は五分五分になってきました。

 この仮説が成り立つ場合、


 フラダリは生きていく中で、「(人は争い・奪い合うから、)人々=愚か」と感じていた。しかし、こうも考えていた。「人は足りないから争うのだ。ならば、不足を互いに補えば、争いは起きなくなり、平和になる……」。
 けれど、実際はそうはならなかった。不足をいくら補っても、人々は”ほしい”を繰り返した。「不足を補っても、人々は争い続ける。それならば、もう、争いが起きないぐらいまで、人の数を減らすしかないじゃないか……」。


 このような流れがあったと言えるのではないでしょうか。



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 2017.2.10に、①の可能性に修正を加えました(可能性②でも語ったことですが、どちらが正しいと思うかは、殆ど同じになりました)

 ここまで見ていただいて、ありがとうございます!

<参考>
ポケットモンスター XY&Z:39話~41話
 

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