ver:1.0
アニメ「ポケットモンスター サンムーン」が放送されましたが、まだ暫くフラダリの記事は続きます。
まだアニポケ「サンムーン」の内容が進んでいないこともあるのですが……フラダリの内面が今現在に至っても上手く整理できていない状況にある、というのが主な理由です。(しかし、「分からないままにしておくわけにもいかない」、「時間がかかるからと言ってテキトーにしてはいけない」という気持ちです。)
そして、今回注目するのは、フラダリとクセロシキの「飛び降り」。
アニメを見てすぐは、比喩の1つとして2人とも飛び降りたのかと思っていました。(フラダリは落ちるのを阻止できなかったけれど、クセロシキは止めることができた。)
しかし、この2人の飛び降り行為は、あきらかに意味合いが違う。その違いから、フラダリの「飛び降り」の意味もわかるんじゃないか……そう考えました。
<クセロシキの「飛び降り」>
引用:(c)Nintendo・Creatures・GAME FREAK・TV Tokyo・ShoPro・JR Kikaku (c)Pokémon
Copyright(c)TV TOKYO Corporation All rights
reserved.
時系列でいえばフラダリ⇒クセロシキですが、まずクセロシキの方から注目します。クセロシキはシトロン達から逃げるために、飛行機から飛び降りました。
飛び降り方は、バンジージャンプや水泳の飛び込みと同じ向きです。(シトロンのエイパムアームにつかまれていますが、)図からも分かる通り、正面を向いて飛び降りています。両手・両足は開いた状態でした。
また、本人のセリフから分かる通り、クセロシキには死ぬつもりはありませんでした。シトロン達の認識も、「死ぬ」とはされていません。
<フラダリの「飛び降り」>
引用:(c)Nintendo・Creatures・GAME FREAK・TV Tokyo・ShoPro・JR Kikaku (c)Pokémon
Copyright(c)TV TOKYO Corporation All rights reserved.
続いて、フラダリの「飛び降り」。まずはっきりと分かる違いは、飛び降りている向きですね。後ろ向きに飛び降りています。両手は開いていますが、足は揃えていました。また、クセロシキとは違い、機械を付けたまま落ちています。
周りの認識は、はっきりとは言われていませんが、あきらかに「死んだ」です。(ちなみに、落ちた後生きていました。)この時点でも、かなりクセロシキとは違うと分かります。
では、本題――フラダリの「飛び降り」の”意味”は何でしょう?その答えは、まだわかっていません。けれど、今言えることは2つあります。
1つは、どのくらい落ちているかを確認するよりも優先するものがあったこと。もう1つが、もしもフラダリが”死んでしまえば何もできない”という考えの持ち主であれば、自殺ではないということです。
助かるためならば、「自分がいまどれくらいの高さにいるのか」を知るのは何よりも大切ですし、目的が”自殺”ならばフラダリの言動や腕につけた機械の意味がありません。
<別の可能性>
これはかなり突飛な可能性だ、という前提で、ある可能性のことを話したいと思います。それは、サトシたちの前に現れたフラダリは”すでに死んでいた”というものです。(先ほど、「死んでしまえば何もできない」を前提としたのは、この可能性があったからです。)
もしも、フラダリにとって「死ぬ=終わり」ではなく、「死ぬ=人間を辞める」ことであるならば。
自身の理想を叶えたい。その代償が自分の身体を失うこと(=人でなくなり、感情の塊のような存在になること)であるならば、迷わない。
「突飛だ」とは思いつつも、この可能性に対し、納得してる自分もいます。
ーーーーーーーーーー
<参考>
ポケットモンスターXY&Z:42、43、46話
0 件のコメント:
コメントを投稿