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2016年9月8日木曜日

考察:フラダリの新世界と「ワクワク新生活」を重ねる

ver:1.2
(写真の引用を変更しました)
 

 この考察、「フラダリの新世界と「ワクワク新生活」」をするきっかけになったのは、自分が最近記事にした、この考察の③が発端でした。

※「ワクワク」の部分を取ろうかどうか迷ったのですが、ワクワクしない新生活もあるなと感じ、「ワクワク」は残すことにしました。

 その考察で、「アニメでのフラダリが描く新世界」は、「ワクワク新生活」と例えることができるのではないか、と思いました。ここでいう「ワクワク新生活」は、自分が感じたことが中心なので、若干一般的なものとはずれているかもしれませんが……)

 「フラダリの新世界をワクワク新生活」と例えた後……そのことによって、色々と感じられるようになったことがありました。

 一言で言うならば、
 
「ああ!そういう感覚か!!」

です。

 今回は、その例えを使い、実際にフラダリの感覚がクリアになった部分と、対照的に、「ワクワク新生活」の例えとはズレた事柄について、考察していきます。

※元にしている「ワクワク新生活」は、(なんだか恥ずかしいのですが)あくまで自分の経験です。比較的よくある事だとは思うのですが、実際と感覚では異なっている場合もあるので、念のため、ここで記しました。

 <感覚がクリアになった部分>
 「なるほど!そういうことか!」と感じた部分は、

①39話の後半での、作戦を実行に移した際のフラダリの表情
(フラダリの思う)特別な者の使命が、未来でのみ発揮されること
③容赦のなさ

です。

 まず①ですが、ここで言った「フラダリの表情」は、↓の写真での表情などです。

①で指摘した、フラダリの表情その1

引用:(c)NintendoCreaturesGAME FREAKTV TokyoShoProJR Kikaku (c)Pokémon

Copyright(c)TV TOKYO Corporation All rights reserved.
①で指摘した、フラダリの表情その2

引用:(c)NintendoCreaturesGAME FREAKTV TokyoShoProJR Kikaku (c)Pokémon

Copyright(c)TV TOKYO Corporation All rights reserved.

①39話の後半での、作戦を実行に移した際のフラダリの表情
 実をいうと、39話を見ていた時、どうしてああいう表情になったのかがわかりませんでした。理由は「自分の野望が叶うところまできているから」だとは分かるんですが、どうして歯を見せるほど笑ったのかが、なぜ大声で

「開幕だ!私のステージが!!」

と叫ぶまでになったのか……いまいちピンと来なかったんです。

 けれど、「新生活」と置き換えたとき……自分が新しい生活をスタートする際、「新しい生活が始まるのがただただ楽しみで嬉しくて、ずっとウキウキしていて……
 
「開幕だ!私の新しい生活が!!」

……みたいなことは叫びはしませんでしたが、心の中では言っていてもおかしくなかったです。

 それらのことを思い出し、ようやく納得できました。「箸が転んでも可笑しい年頃」という言葉がありますが、あの時は「箸が転んでも可笑しい状態」と言っても過言ではありませんでした(笑))


②(フラダリの思う)特別な者の使命が、未来でのみ発揮されること
 先ほど上の方で紹介したページでも語ったことです。ゲームでのフラダリが考える「選ばれた者の使命」は過去・現在・未来すべてで発揮されなければならないのに対し、アニメでのフラダリの思う使命は、未来のみで発揮される、と考察しました。

 このことを「新生活」で考えるならば、「新生活への準備」という名目で色々なものを買い添えることになると思います。

 中学・高校ならば新しい文房具とか(しかも何だか少しオシャレなものを……)、大学ならば雑誌や服であったりとか(どういう服着ていこうかワクワクしてました、独り暮らし・社会人デビューならスーツや家電とか(浮かれて無駄遣いはするなよ!と自分に言い聞かせながらも……)

 そして、そういう物に限って、新生活が始まるまで大事に大事に使わないで部屋に置いていました。

③容赦の無さ
 新生活の準備で必ずしていたのが、「部屋の掃除、及び模様替え」でした。

 「新生活の準備」でないときも、部屋の掃除・模様替えはしていたのですが、準備であるときとそうでないときの「物を捨てる時の潔さ」は、確実に準備の時の方が上でした。

 要らないものは捨てる、必要なさそうなのも捨てる、過去の物でこれから使わなそうなものも捨てる……

 アニメでのフラダリが行っていることも容赦がなかったですが、自分が新生活に向けての準備での物の取捨選択も、思い出せば(フラダリほどではないにしても)容赦がなかったです。そして終わった後はすがすがしかったです。)


<ズレた事柄>
 さて、「重なる」部分を考察してきましたが……ここからは、ズレてしまった部分について考えます。

 この例えは、大まかな感情はほぼ一致していて、冒頭でも語りましたが、今まで分からなかったフラダリの感情がより身近なものに感じました。

 けれど、細かい感情のところに目を向けると、ところどころ、異なっているものもあります。

 まず、「物を廃棄する時の感情」です。自分もフラダリも、捨てた後はすがすがしいと感じていたのですが(フラダリは、あくまで”見た感じ”ですが……)、自分は一応、捨てる直前にどういう物だったか吟味していました。しかし、フラダリの場合はそうはしていませんでした。

 これは単純に、「捨てるもの」に対しての想い入れの違いだと思います。自分の部屋にあったものは何かしらの愛着がありましたが、フラダリが人々に対して「愚か」と感じていたことから、2つの「想い入れ」は違うを判断できます。)

 それから、自分の場合は少なからず別の自分になろうという部分が恥ずかしながらあったのですが、フラダリには、そういったところは無いように感じます。

 自分が描いていたものは「新しい生活とそこで生活する新しい自分」であったのに対し、フラダリが描いているものは「動いている新しい世界そのもの」ということになるんでしょうか。






――――――――――
……以上で、この考察は終了です。
フラダリとフレア団のことについては、さらに深く考察していく予定です。
よろしくお願いいたします!


(参考)
ポケットモンスターXY&Z:38話

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