フレア団から見たストーリーの考察。今回は2回目。「考察と仮説:2:フレア団結成前:後編」です。前編はこちらから(※後編は、前編の続きとなっています)。
考察する経緯は「お知らせ:7月8月の予定」にて。どのような記事を挙げていくかは、記事の下部分を参照ください。
”フレア団はどのように結成されたのか”
”なぜ力を求めたのか”
そこについても考察・仮説立てていきます。
どう足掻こうとも変えられない未来を何とかしようとした。けれどどうにもできず、やがて人々の要求は「大波」となり、自分達に襲い掛かった。
水に飲まれ、自らの熱意が消えていく。「水」に消される自分達は、さしずめ「炎」 (※1)。そして、フラダリ達は思う。
我々が手を差し伸べたことが、人々の傲慢を招いた。
そして自分達は、
人を助けられる特別な存在ではなかったし、そういう存在になることもできなかった。
人を助けられる特別な存在ではなかったし、そういう存在になることもできなかった。
“奪う”ことを捨てられない、「愚かな人間」……
「世界を良いものにしたい」という願いは、彼らがいることによって阻まれ続ける……。
(これは一部フラダリのセリフをもとにしていますが、フレア団が起こした行動、そしてそれに伴う結果について、パキラとアラン以外のメンバーが驚かなかった/反乱を起こさなかったことから、近いことが他のフレア団メンバーにもあったと推定できます。)
けれども、「世界を良いものにしたい」という願いを捨てることはできない。(それは、残りの生涯において、常に自己否定を背負うことを意味する。)
では、どうすればいいのか。
一度折れた所から立ち上がる方法は、いくつもあると思いますし、そのどれにも長所と短所があると感じます。しかし、その方法の中で、どの方法よりも真っ先に思いつくものがあります。
それは、相手よりも強い力を持つこと。
(速さで負けたのならば、もっと素早くなる。知識不足ならさらに知識を増やし、相手よりも博識になる。それと同じように、力で負けたのならば、相手よりも強い力を手にすることが、相手を負かす方法として思いつく。)
早く立ち上がらなくてはならない、自分達が世界を変えられるような特別な存在でなくてもできるやり方でなくてはならない……この方法は、その2つを満たしていると言えるでしょう。
そして、それを柱として立ち上がった彼らは、「水にも消されぬ炎」を掲げ、フレア団を結成し(“奪う”という行動を取りえるはずの)自分達とそうでない人との間に一線を引きました。
この線引きに対し、「どうして?」と思った方は多いのではないでしょうか?(実際、自分も”奪う”ことはフレア団にもできるはず……と思っていました。)
けれど、これは「違う」から線が引かれたのではなく、「同じであるけれども違う」故に線が引かれたのではと考えたとき、何となくですが、少し納得がいったように感じました。
例えば、人が今の自分と数年前の自分とを比べたとき。過去を振り返れば、様々な違いを見つけます(賢くなった、何かが上手になった、誰かをもっと喜ばせられるようになった、など)。
そしてその違いがポジティブなものであるほど、「今の自分と昔の自分とは違う」と感じ、今の自分の評価は、過去の自分の評価よりも良いものになる。
昔の自分と今の自分とは、同じ自分ではあるけれど、確実に違う……
故に、人々は何もしていなかった昔の自分と同じであり、今の自分とは違う愚かな存在である。
そのように考えることができるのではないのでしょうか。
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考察と仮説:1:フレア団結成前:前編
考察と仮説:2:フレア団結成前:後編(この記事)
考察:3:フレア団という組織:結成前と結成後の変化
考察と仮説:4:オペレーションZと巨石作戦
考察と仮説:5:フレア団にとってのアランとサトシ
<参考>
※1:仮説:フラダリの炎を考える:後編 (仮説)
ポケットモンスター XY&Z:39話~41話
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